【2006年11月27日脱稿・2017年6月5日加筆修正】初出:配信『機動戦士ガンダム』用原稿(サンライズ)

 

「コア・ファイター、コンビネーション! ガンダム・イン!」

これは『機動戦士ガンダム』の本放送後半から流れたクローバー製の玩具「ガンダムDX合体セット」のCMで、子役が叫んでいた合体キーワードである。もちろん本編中では「技の名を絶叫する」という「ロボットアニメのお約束」は禁じ手であった。「合体」も「換装」と軍事的な用語に置き換えられていたほどだったが、CMでスーパーロボット的ガンダムが出現することで、30分番組の全体では「リアル&ヒーロー」の二重構造をとっていたというわけだ。

放送終了から約半年たった1980年7月、ガンプラ(ガンダム・プラモデル)がバンダイから発売される。このCMはそのころ再放送に合わせ、まだ流れていた。前回述べたように「ガンダム=合金玩具」というビジネスは本放送末期に立ち上がり、放送が終わっても継続していたのである。プラモデル単独になるのはかなり後、おそらく劇場版が終わる1982年初頭ごろで、立体物でも「リアル&ヒーローの二重構造」が発生、どちらが本命かはしばらく分からなかったのである。

本放送中は第23話「マチルダ救出作戦」と第24話「迫撃!トリプル・ドム」の2話分を使って、パワーアップ玩具の商材に合わせた物語を描いている。その結果、マチルダ中尉がガンダムのパワーアップ用メカ「Gファイター」をホワイトベースに届けるのと同時に、セイラがその意志に反して新メカのパイロットに転向することになった。第16話「セイラ出撃」で一度ガンダムを操縦しているので、それほど不自然ではない。そして「黒い三連星」の新型トリプル・ドムとの激戦の中でマチルダが命を落とす悲劇と連動し、パワーアップメカの重要性は視聴者の心に深く刻みこまれるというプロットだ。物語性と商品価値を連動させる、プロとしての努力が色濃く反映しているのである。

Gファイターは前後に分離してガンダムのボディを鎧のように包みこむことで、全体が「Gアーマー」となる。これは敵側ジオン公国軍がモビルアーマーを戦場に投入してくる時期とも歩調を合わせ、概念的にも共通性をもつものだ。そしてパワーアップしたガンダム活躍の描写は、戦闘の激化や敵兵器のデザインの怪物的エスカレーションに対応するものとして、視覚的にも納得性をもたせるよう留意されている。前後に分離したGメカはガンダムのパーツと組み合わさり、Gスカイ、Gブルなど何種類かの変形・合体を行う。これが中盤のガンダムの戦闘シーンにバリエーションを与えている。

Gメカ登場とほぼ同時期に、物語の方向性にも微妙な「路線変更」がしかけられている。たとえば当初、ジオン公国軍側の人型兵器はザクのみで、その強化型としてのグフが出現する程度であった。これはロボットアニメのルーチンと化していた「毎週敵側の怪獣ロボットが出現し、それを主役ロボが必殺技で倒す」というウルトラマン的定型を崩すことにつながった。だがドム以後は、毎週のように新型メカが登場するようになる。映像表現的にもゴッグ出現シーン(第26話)のように、まるで「怪獣映画」のような描写が頻出しているし、設定的にも「モビルアーマー」という巨大兵器を登場させて、ボリューム感を増している。これらはいずれも作品のルックを既存のヒーロー路線に近づけ、児童層への訴求を促進しようというスポンサー要請に応えるものであった。

こうして対象年齢層をやや下げる路線変更が進展していったが、リアリズムをベースにした作品の世界観はギリギリの線で守られている点に、スタッフの矜持が感じられる。物語は終盤にかけ、「ニュータイプ」を中心にして革新的な終幕に着地すべく進んでいく。放送短縮の事情もあって若干説明不足のまま、高密度でハードさが増していく物語展開と平行し、新型機動兵器が次々に出てはガンダムがこれを迎撃する様相は、異様な迫力を生んでいる。TVシリーズが長い時間とともに進化していく「生き物」であり、ライブ感覚がみなぎっているからこそ面白いという原点を再確認させてくれるものでもある。

TVシリーズは後年、劇場版含めてさまざまなかたちで語り直された一年戦争の物語のように、決して整ってはいない。だからこそ逆に「勢い」も感じられる。やや邪道かもしれないが、そんな楽しみ方もできるのだ。中盤から後半、多種多様な機動兵器が活躍したからこそ、ガンダムプラモデルがヒットしたとき、結果論的だが商品展開を豊かにすることもできた。そう考えると、今日に至るブームの下地はこの拡大的な路線変更のとき仕込まれたものと見ることすら可能だ。

パワーアップメカは、それ自体も物語の進行にも大きく根を降ろすこととなった。特にセイラやスレッガーのドラマは、Gメカありきで転がっているものが多い。だから劇場版では新メカの「コア・ブースター」に読み替え、玩具色を薄めて新メカを物語に登場させざるをえなくなった。作品とはまるでパズルのように、多種多様なものが有機的に絡みあって成立しているものである。ひとたび完成してしまえば、それなりのバランス感が生まれる。一箇所でもピースを抜くと、逆に全体の味が損なわれてしまうような性質をそなえている。

『機動戦士ガンダム』は一本スジが通った優秀な作品と見られがちではあるが、実はそうとも言えない柔軟性をそなえている。それは、さまざまな立場からのさまざまな願いが集まってきて、作品というひとつの「かたち」に結晶化されているからなのだ。だからこそ全体が多くの観客の気持ちを受け止めることができて、それぞれに魅力を提示することも可能となったのではないか。

こうした実像の一端は、パワーアップと路線変更のもたらした様相の変化を追うことによって、理解できるのである。

(敬称略)