【2006年8月20日脱稿】初出:配信『機動戦士ガンダム』用原稿(サンライズ)

『ガンダム』と言えば「SF&ミリタリー」。そんな概念に慣れた現在の目で見ると、最初のTVシリーズ『機動戦士ガンダム』には、むしろ「ヒーローロボットアニメ」に擬態しようと懸命に努力した形跡が多く発見できて、驚かされる。その最たるものは、オープニング主題歌「翔べ!ガンダム」ではないか。「燃えあがれ」など熱い言葉を多用し、主役メカ「ガンダム」の名前を連呼し、機械のガンダムが「正義の怒り」を覚える擬人化表現など、「ヒーロー」的な作詞・作曲法が徹底されている。

これは70年代のロボットアニメとしては、特別なものではなかった。むしろ玩具のCMとしての番組成立を考えるとコマーシャルソング的な主題歌も当然のこととして、放送開始時点では受け止められたはずだ。ところがオンエア後しばらくすると、作品の目ざすところが過去の「イケイケ、敵をやっつけろ」調とはまるで異なるものだという共通認識が視聴者に定着し、そのころから主題歌に対する違和感が改めて浮上してきた。これが経緯としては正確なところだろう。

その結果として、オンエア終了直後に発売された「ドラマ編 アムロよ…」や「交響詩ガンダム」といった企画アルバムでは、主題歌は世界観とのミスマッチから積極的にオミットされている。後の劇場版では、「もっと広く一般層にアピール」という意図により、谷村新司や井上大輔といったヒットミュージシャンの曲が採用されるようになって、ますます「ロボットアニメ調」から遠ざかってしまった。結果として、アニメカラオケで「翔べ!ガンダム」を歌う人は少なく、むしろ「哀 戦士」や「めぐりあい」を優先して選曲する傾向さえできてしまった。

勝手な話だが、今となっては「ガンダム」という単語が織り込まれていない劇場版主題歌には一抹の寂しさを覚える。80年代以後、「アニメ主題歌」全般でロボット名が出てくる方がレアになってしまった。「ガンダム」がきっかけでアニメ主題歌もコマーシャルソング的なものから離れ、「主題歌それ自体が商品」と認知されていき、やがてタイアップソングのショーウィンドウ化していく。そんな止めようのない流れの果てに起きた、一種の逆転現象なのである。

「翔(と)ぶ」という読み方は、70年代後半に歌謡曲や漫画などで流行して定着したもので、本来の日本語の読みにはない。その「翔(と)びたい」という願いは、第9話のサブタイトルにも転用され、富野総監督の目ざしたテーマの一部でもあった。だから、TVシリーズ『機動戦士ガンダム』の原点再確認とともに、今こそファーストガンダム主題歌としての「翔べ!ガンダム」の再評価も、必要なのではないだろうか。

テーマと歌詞といえば、エンディング副主題歌「永遠にアムロ」にも注目してほしい。この曲に紡がれた言葉は非常に重要である。この機会に歌詞カードなどで一度「言葉として」再読していただきたい。ガンダムシリーズで連綿と語り継がれている主題のひとつに、「人間が地球という重力の束縛から離れたとき、ある種の才能が覚醒して未来に向かって大きく翔ぶことができるのではないか」という「願望」がある。これを物語上のアイテムとして体現したものが「ニュータイプ」に相当するわけだ。『無敵超人ザンボット3』以来受け継がれている「乳離れ」への極めてプリミティブな「願い」が、主人公アムロへ贈る言葉として「永遠にアムロ」には結晶化しているのである。

作詞の井荻 麟は、富野由悠季総監督のペンネーム――これもファーストガンダム当時には明らかにされていなかった。『機動戦士ガンダム』という物語が本当は何を訴えたかったのか、より鮮明になった現在だからこそ、原点に位置するナマの言葉を確認することには、大きな意味がある。「主題歌=テーマソング」という趣旨を念頭に置いて、「アニメの歌」を革新しようと試みた名曲に、もう一度耳をすませてほしい。(敬称略)