【2006年2月8日脱稿】初出:配信『機動戦士ガンダム』用原稿(サンライズ)

このコラムでは作品そのものから少し離れて、1979年に放送された『機動戦士ガンダム』(ファーストガンダム)を取り巻いていた現実世界の様相について述べながら、当時の時代背景や世情を浮き彫りにし、その中から改めてファーストガンダムが置かれていたポジションを探っていきたい。

まず、放送スタートした1979年はアニメーション業界自体が活況で、量的にも質的にも恵まれていた時期だと総括できる。同じ一年にこれだけのアニメ作品がそろうことは、まさに空前であった。『赤毛のアン』(高畑勲監督)、劇場版『銀河鉄道999』(りんたろう監督)、劇場版『エースをねらえ!』(出崎統監督)、『ルパン三世 カリオストロの城』(宮崎駿監督)と、タイトルを並べるだけでも目眩がする。

富野由悠季監督の『機動戦士ガンダム』もまた、その傑作群を代表する1本なのである。

なぜこうした現象が発生したのだろうか? その理由は2つある。

1つは1977年夏に『宇宙戦艦ヤマト』を劇場映画として再編集したものが大ヒットして、児童以外にもミドルティーン、ハイティーンのアニメ観客がいると、アニメ市場が認知されたこと。もう1つは先述のタイトルを放った作り手(特に監督)たちの大半が30代後半になり、人生で一番良い仕事をするとされる時期に差しかかっていたことである。

そして、独立しているようにも見えるこの両者には、実は密接な関連がある。前者の「発掘された観客」とは、1963年にTVアニメ『鉄腕アトム』が放送されて以後、TVでアニメ作品や特撮作品を見続けてきた子どもの成長した姿なのだ。そして、後者の「作り手」とは、TVアニメが急成長したその60年代、逆に衰退を開始した映画業界、ラジオ業界、貸本屋などに職が得られず、アニメーションの作り手となって、幾多の苦難を生き延びてきたスタッフたちなのだ。

何のことはない。16年が経過して、同じ作り手と受け手が期せずして再会していたというわけだ。「今ならここまでやれるよね」と作り手が容赦せずに投げた剛速球を、成長して半分大人になりかかった受け手がど真ん中でキャッチする。この凄まじい感動の共鳴が、他の世代をも巻き込み、メディアにも影響を与えて急速に全体を進化させていった。

それが1979年という時期であり、いわゆる最初の「アニメブーム」の正体である。

そう考えてみると、『機動戦士ガンダム』で描かれている「少年の乳離れ」という大テーマ(エンディング「永遠にアムロ」の歌詞上に、その願いは言語化されている)が何だったのかが、改めてより明瞭になっていくのではないだろうか。

そんなことも念頭に置きながら、1979年に初めて放送された『機動戦士ガンダム』の持ち味を存分に味わってほしい。