芸術家・成田亨は、「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「マイティジャック」などでキャラクターやメカニックなどをデザインし、1980年代以降、自身がデザインしたものをモチーフに数多くの絵を描きました。
これらは、デザイン画やイラストレーションにはない魅力を持った“絵画”そのものであり、成田亨による“芸術作品”です。
本企画は、成田亨の仕事と作品を広く知っていただくために、成田亨を敬愛する庵野秀明が企画しました。成田亨の“絵画”をご遺族の協力と監修の下で複製し、「芸術作品を身近に飾りたい」というご希望にお応えし販売するものです。
高精彩出力技術[プリモアート]によって、成田亨の筆跡、色彩、マチェールを可能な限り再現し、ご遺族が所蔵するオリジナルに限りなく近い品質を実現しました。
本企画で、成田亨の多彩な仕事を後世に伝えるとともに、成田亨作品アーカイブの一環にしたいと考えています。
成田 亨
Tohl Narita
(1929.9.3-2002.2.26)
※成田亨はサインでいつも“Tohl”と綴った
1929年9月3日、神戸市生まれ。生後間もなく青森県へ移り、以後、青森県と兵庫県内の転居を繰り返す。
1954年、武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)彫刻研究科在学中、「ゴジラ」の美術スタッフにアルバイトとして参加。これを機に東宝だけでなく大映や松竹、東映などの特撮美術に携わり、1960年、東映の特撮美術監督に就任。1965年、円谷特技プロ(当時)と契約し、同社の「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「マイティジャック」などで、ウルトラマンをはじめとするキャラクターや怪獣、メカ、防衛隊のコスチュームや基地のセットにいたるまでをデザインし、映像作品の世界観構築に多大なる功績を残した。
1968年にフリーとなってからは、「突撃! ヒューマン!!」などの特撮や「樺太1945年夏 氷雪の門」「新幹線大爆破」「この子を残して」「麻雀放浪記」など映画美術のほか、百貨店のディスプレイや博覧会、催事場のデザインなど活躍の場を広げていった。
2002年2月26日、多発性脳梗塞のため永眠。享年72歳。
2003年「アート・ツアー・イン青森 成田亨が残したもの」展、2005年「成田亨の世界」展、2007年「怪獣と美術」展、2014年〜2015年「成田亨 美術/特撮/怪獣」展が開催された。
販売作品
- 全作品、作品名とシリアルナンバーを刻印したプレート付き
- 額装は、成田亨が自ら制作した(もしくは選んだ)額に近い形で特別制作(「爆煙とMJ」のみ額が存在しないため、作品イメージに合わせた新規の額装)
- 全作品、特典として「マイティジャック」制作最初期に描かれた画(現存する写真を基に作成した原寸大プリント。オリジナルは消失)を進呈